サニーワンステップ代表・田村寛之さん

神奈川県川崎市、日進町。かつて「ドヤ街」と言われたこの町がいま、変化の兆しを見せています。

駅前には飲食店や観光スポットが増え、地元内外から訪れる人が増えました。まちの遊休施設をリノベーションした宿泊施設は、羽田空港から東京に向かうインバウンド客の経由地点としても人気を集めています。

手がけたのは、リノベーションやデザインで日進町に密着したまちづくり事業に取り組む、株式会社サニーワンステップ代表・田村寛之さん。もともと日進町の出身ではない田村さんが、まちの課題に向き合い、まちづくりを始めた経緯や、現在の取り組み、まちづくりに対する思いについて伺いました。

「親である自分が誇れるまちに」。はじめの一歩はゴミ拾いだった

ゴミ拾いボランティア「グリーンバード」の集合写真
ゴミ拾いボランティア『グリーンバード』の川崎エリア代表として活動する田村さん(写真左前列)。

「なぜ、日進町を変えようと思ったのですか?」そんな質問を投げかけると、「最初から、『まちを変えよう』なんて大きな目的を持っていたわけじゃないんですよ」と明かす田村さん。「始まりはゴミ拾いだったんです」と、意外な答えが返ってきました。

およそ15年前に川崎に引っ越してきた田村さん。まちの第一印象はまさに「ドヤ街」だったと言います。

「日新町はその昔、日雇い労働者が集まるまちでした。だから治安が悪く、あまり子どもたちの目に入ってほしくない施設も多かった。はじめのうちは、僕自身、『これからここで育児をするのか……』と暗たんとした気持ちでいたんだけれど、あるときふと、親である自分が我が子が育つまちに否定的なのはよくないな、と考えたんです」

子供達が街でゴミ拾いをしている写真。
『グリーンバード川崎』の活動の様子。

田村さんは、「まちの嫌な部分を嘆いているばかりではなく、自ら誇れる部分を作ろう」と発想を転換。子どもたちを引き連れて、駅前でゴミ拾いを始めます。

「はじめは軽い気持ちだったんです。ゴミ拾いって、そもそもかっこいいことでもないし、どちらかというと『町内会のお年寄りに任せる仕事』ってイメージで、ちょっと照れ臭かったのもありますね。でも、毎週同じ時間に同じ場所で子どもたちとゴミを拾っていると、『自分も参加したい』という人がなぜかどんどん現れて、大きなチームになって行きました」

「ドヤ街をドア街へ」。隠れスポットで人を呼ぶ仕掛けを

リノベーションしたオフィスでまちづくり会議が開かれている様子
田村さんがリノベーションを手がけた物件はまちづくり会議に活用されることも。

やがてゴミ拾い活動がまちの人々に注目されると、地域の中で噂がめぐり、行政とのつながりが生まれます。

「若いやつが無償でまちのために働いているものだから、まちづくりに使えると思われたようで(笑)いろいろな取り組みに声をかけられ、ゴミ拾いでつながった仲間とともにまちづくりに参加するようになりました」

そんな活動の中で田村さんが出会ったのが、リノベーションです。

「市が主催する遊休施設のリノベーションスクールに呼ばれて、今の会社のメンバーに出会いました。リノベを活用したまちづくりなら、このまちに人が集まる仕掛けを生み出せると思って、遊休施設のリノベーションと活用を主な事業とする『サニーワンステップ』を立ち上げたんです」

田村さん自ら名付けたという会社名には、特別な想いが込められています。

「会社を登記した2015年は、日進町に悲惨なニュースがあり、まち全体に暗いムードが漂っていました。これからこのまちを明るい方向に変えていきたいという決意も込めて、“日が進む”という言葉を英語で表現したのが『サニーワンステップ』なんです」

「サニーワンステップ」はこれまで、リノベーションやデザインの力でまちに無数の“スポット”を仕掛けてきました。

「掘りごたつのあるコワーキングスペース、『創荘-soso-』は、人が集まれる場所をつくろうという発想から始まりました。地元の小学生が卒業記念に制作している恒例の『洗濯バサミアート』は、今年はじめて制作後に川崎の地域交流拠点に展示しています。見た目は圧巻!地元の人たちも作品が印象に残ったようで、地域交流拠点に立ち止まって写真を撮っていく人が増え、一時的にアートスポットのようになりましたね」と田村さん。

イベントスペースで洗濯バサミアートを作る子どもたち
「洗濯バサミアートをまちの小学生の恒例行事にしたい」と田村さん。

「僕はこの行事をまちの定番行事にすることで、こども達が成長していく過程で、例年自分たちが作ったアートを思い出し、母校に想いを馳せるいい機会になるんじゃないかと思っているんです」

「大人も子どもも、自分のまちに愛着が持てるような日進町をつくりたい」。田村さんの言葉には、そんな気概があふれています。

「サニーワンステップが目指すビジョンのひとつに、『ドヤ街をドア街へ』というワードがあるんです。ほかにはない“隠れスポット”がたくさんあれば、外からも中からも人が集まるでしょう?規模は小さくても、唯一無二のここにしかないスポットをたくさん仕掛けることで、このまちのドアがもっともっとひらいて行けばいいなと思っています」

「Park Line 870」で広がる交流の可能性。シニアの活躍も構想

子どもたちが制作した洗濯バサミアートをライトアップした様子
夜はライトアップされ、幻想的な雰囲気に。立ち止まり撮影する人も多くいました。

今年の春、洗濯バサミアートを展示したのは、京急八丁畷駅前の地域交流拠点「Park Line 870」。

「まちの人が自由に使えて、多くの人の目につく開けたスペース。そんな条件に当てはまったんです」と田村さんは明かします。

「ほかにも、日替わりのフードトラックを出店したり、スタンプラリーイベントで、ラリーポイントを設置したりとさまざまな施策で活用していますよ。せっかくまちの人のために開かれたスペースなので、人が集まる仕組みを作り、街のシンボルとして認知されればいいなと思っています」

一方、今後地域交流地点を活用する人を増やすには、インフラ整備が不可欠だと、田村さんは指摘します。

「今は電気と水道しか使えないシンプルな広場ですが、飲食店に必須のガスを引ければ、利用者のハードルが下がり、用途も広がります。屋根も設置できたらいいですね。どんな人でも気軽にお店やイベントを開催できるようになれば、まちの風景はそれだけで変わるはずです。今後、少しずつ進化していく『Park Line 870』を見守りつつ、いろいろなアイデアを実証する場として活用したいですね」

『Park Line 870』のニーズを探りつつ、挑戦してみたいアイデアもあると、田村さん。

「まちづくりのメンバーにシニア層を引き入れて、広場で昔ながらの紙芝居屋をやってもらうのもいいですね。今後街に増えていくシニア層は、まちづくりに欠かせない存在ですから」

つぎつぎとワクワクするようなアイデアを生み出し、まちに変化を仕掛け続ける田村さん。そんな田村さんにとって、いまの日進町はどれくらい「ドア街」に変化したのでしょうか。

『Park Line 870』に日焼けシェードや簡易的なイス、テーブルが置かれている様子
「『Park Line 870』を人が集まるスポットにしていきたい」と田村さん。日よけシェード イス、テーブルなど少しずつ設備が増えてきています。

「達成度は30%!駅前は徐々に人が集まるスポットは増えているし、羽田から観光に来る外国人も増えているけれど、まだまだのびしろはあります。ここからどんなふうに変化していくのか、楽しみですね」

ゴミ拾い、リノベーションでのスポット作り、小学生が作るアート、キッチンカーなど、田村さんが新しい挑戦をする場所には、常にたくさんの人がいます。田村さん自身がまちのつながりの中から何かを生み出してきたように、田村さんが作り出す人々の交流も、この「ドア街」に新しい波を生み出していくことでしょう。